9月12日

けさ、新聞を見て、ようやく気づいたのは私だけではないはずだ。(私はテレビ見ない人なんです。)
アメリカの同時多発テロである。
とうとうもっとすごいのが来たかという感じである。

亡くなった多くの方々の冥福を祈ります。

私なりに考えてみました。
こういう事態は前々からあるだろうと思ってました。
だって、中東諸国どころか、もっと多くの国々から最も恨みを買っているのがアメリカ。
ここのところ更に自己中心的な国になってきていた。
結果だけを見れば、テロリストはなんて奴だと思うけど、
こうなった元々の原因は被害者アメリカにあるのはほとんどの人が認めるだろう。
私が望むのは報復をしないで欲しい。アラブを恨まないで欲しい。
彼らは今までこれ以上の苦難をさせられてきたのだから。
今日の仕事が無いのも、メシにありつけないのも、友人が殺されたのも、
明日の命さえ保障が無いのもみんなアメリカのせいだという事になっている。
私は彼らを責める気にはなれません。
思うに、我々物質的に豊すぎる生活者は貧しい人々に富を分けあって、
最低限の暮らしを保障できるようにしなくては、これからもテロは起こるだろうということです。
報復なんてとんでもないこと、犠牲者の山が増えるだけなのは明らか。

アメリカは中東和平を本気で実現し、苦しんでいる人たちを救うことが第一だと思います。
冷戦はなくなりもはや大国同士は戦争できないほど経済的結びつきが強くなりました。
相手の国を何度でも灰にできるほどの核兵器を持ちました。
もはや戦う相手は小国やテロリストのみになってます。
彼らの戦うのは、貧しさが原因です。
先進国の軍事費を減らせば私たちが余分な負担をせずとも彼らに食料と教育を、最低限度の人間らしい暮らしを保障できるそうです。
そうすれば今回のような悲惨なテロが起こる下地が無くなります。
いずれ世界はひとつになるでしょう。
ただし、まだまだ勉強しないとならない事態はくるかも知れません。
今回のインパクトで持てる国が貧しい国々の事を理解してお互い和解ができることを祈ります。


P.S 昨日のテロ事件があった時間にかなり久しぶりに悪夢を見ました(そんな時間に寝てたんです。仮眠だったけど)
向こうから何かが突っ込んでくるような感じで、胸がキュッと締め付けられて起きました。
ドキドキして目を覚ましました。こんなことは本当にまれです。
「俺が悪夢をみるなんて・・・・」ってまたすぐ気を取り直して寝てましたけど。
もしかしたらリンクしていたのかも・・・・

9月15日

今日はお客さんの子供が
「お母さん、なにもいないよ〜」
って言ったら。
「金魚がおるでしょ!」って。

・・・・・・(沈黙)

子供がかわいそうである。
ほんの1秒、目を水槽に向けるだけで済むのにそれさえおっくうなの?

そのまえに、水槽を寂しいからといって電気だけつけて空家にするのもよくありません。

それとも・・・・そのお母さんには・・・見えていた!(ドキドキ)

その後ついに、入居者がきました。

前の金魚がなくなった理由は水の入れ替え不足で弱ったところに尾ぐされ病にかかったようなのです。
あれから水槽の大掃除はしていませんが、2度ほど水かえをしました。
ちと心配ですが、気合の入った元気な金魚に来ていただいたので大丈夫でしょう。

9月16日

罪の意識

人は短時間のうちに殺されると「殺人」になり、長い時間をかけると「商売」になる。これは「神との対話」での話しだが、商売とは「タバコ」のことだ。
今やヒステリックに力による報復へ向かっている。一度に数千人も殺されたのだから。
だが、タバコで年間一体何人殺されているか知らないが、今回のテロ以上なのは確か。
先進国が地球環境を悪化させたために多くの国で異常気象による死者がでている。温暖化防止法案に反対した米国はその死者に対する責任をちっとも感じていない。私達もそうである。
今回のテロで怒るのは分かる。しかし何故他のもっと多くの犠牲者がでている事に怒りを感じないのか。テロも恐ろしいが地球的な視点に立つともっと恐ろしい事が起こっている。今まさに先進国が一致団結してこの問題に立ち向かわないと人類の破滅が近いのである。
彼らは「民主主義と正義の戦いである」と言う。だが「人類の生き残りのための戦い」はしない。全土を焦土に変える核ミサイルがめざしてきているのを知ってても、目の前の「うちの塀を壊した奴へのし返し」に燃える。
このテロ問題は地球人類はみな家族なのだということを思い起こせば解決する。地球的視点で考える事。それが無理なら行ったものは必ず帰ってくることを知って欲しい。赦せば赦される。殺せば殺されるのである。長い歴史を見ても相手を壊滅したり追い出すことで解決した例はない。解決したように見せかけ、一定期間の平和を得るだけで、またくり返すのである。親子どおし、親友どおしのケンカではお互いに赦しあっているではないか。やられたらやりかえすでは解決から遠のくばかりだと冷静に考えれば分かる。ナイフ一本であそこまでできる人達を力で抑え込むのはもはや不可能に思える。まだ彼らは生物兵器もアタッシュケース核爆弾も使っていない。旅客機を原子力発電所にぶつける事ができたはずだ。彼らにも良心はある。イスラム教では「やられたらやられたの同じ分だけし返しなさい。少なくても多くてもいけない」というルールがあるそうです。キリスト教は「右の頬をぶたれたら左の頬を・・」のはずですが、国はぜんぜん守ってないようですね。宗教的解決法よりもハリウッド映画的解決法のほうが身近だからでしょうか。ちなみに私は「同じ分だけ返す」よりも「赦す」のほうが好きです。行ったものは帰ってくるというルールはさらに「行った物はもっと多く帰ってくる」なのです。相手を赦せば、自由にしたら自分はもっと赦される、自由になる。困った人を助けてあげれば、困った時にもっと助けられる。相手を愛せば、私はもっと愛されるからなのです。

今後の私の予想ですが、報復が報復を呼び、多数の犠牲者が出て誰もが疲れた頃にベトナム反戦運動のような事が起こると思います。アラブ人、白人、黒人、キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、様々な人達が手を繋いで行進しています。人類が家族となるのを目撃し、戦争に終止符を打ちます。価値感の大きな変動が起こります。帝国主義は崩れさります。米国の力は弱くなり、おそらくは国連より強い地球政府の誕生があるでしょう。それしか方法がないほど地球的問題(環境・経済格差・人口問題)の悪化が更に深刻になっているのですから。
この戦い。人類がもっと大人になる歴史の転換点になるような戦争では。

今朝の新聞では私と意見を同じくして「報復は報復を招くだけ」「テロリストの思うツボ」「日本は報復に協力すべきでない」等の記事が所々に出ていた。最初から新聞社もそういう見方があるのを知っていたが今までは亡くなった方の遺族の方々の感情を考えて載せていなかったようである。私の意見は時期尚早だと思う。だけどこんなときこそ冷静な判断力が必要である。
改めて亡くなった方の冥福を祈ります。そしてこれ以上の犠牲者がでないように祈ります。

9月17日

この世を天国にするには

私は中学校、高校の頃よくいじめにあい、地獄の学校生活を営んでおりました。
それというのも今考えればすべて自分に原因があったのです。
様々な成功者の哲学書やヨーガの本、宗教書を読むにつれ、すべての人間は想ったとおりの経験を常にしているということに気づきました(正確には思い出しました)。
いじめにあった頃、私の思考は「いじめられたくない」「助けて欲しい」「今日も痛い想いをするかもしれない」と思っていました。その願いは叶えられていたのです(笑)。
願いは「わたしは、」に続く言葉が実現します。
「いじめられたくない」と願うと、
わたしはいじめられる」と想っています。その通りいじめられます。
「今日も痛い想いをするかもしれない」と想うとそのとおりなります。
ただ、知らなかっただけなのです。誰も、教師も、両親も、友人もそのことを教えてくれませんでした。もしかしたら耳を貸さなかっただけかもしれませんけど。
ただ、そのときに「俺はおのれら必ずみかえしちゃる」と想っていました。
それが、大学に入ってからのエネルギー元となって今の私ができたわけです。
得意教科と不得意教科がありました。得意だったのは理科、不得意だったのは英語です。
理科はクラスで最高クラス。英語は最低クラス。平均して中の上ぐらいでした。
理科は「俺はこの教科だけは誰にも負けんど」と想っていました。その通りになりました。
英語は「大嫌い!いくら勉強してもあかんなぁ」。その通りになりました。
今までの経験からして、「うまくいっている」と想っているときはむちゃくちゃうまくいき、
「調子悪い」と想っているときは何をやってもダメ。その差が強烈でした。
私は想いこみが強かったのです。
あることにとらわれるとそれしか考えません。
だから極端な差に表れたのです。

今想っていることは
「私は幸せ」
「ありがとう」
「これでいいのだ」
「すべて私の想ったとおりになっているのだ」
「私は神で、みんなも神なのだ」
「悪は無い、敵も無い、みんな家族だ」
「すべてうまくいっている」
「死んだらみんな天国に行くのだ」
「困った人よ、勉強させてもらってありがとう」
とかなります。

否定的なことが思い浮かんだら、すぐさま「ありがとう」と念じるようにして追い払います。
前に書いた「ありがとう100万回」は効果絶大です。
願いは必ず実現します。
「どうしても想い通りにはならない」と考えると
その通り「想い通りにならない」経験がすぐにできます。
諦めないでください。
潜在意識が何を想っているかが決め手です。
潜在意識さんが否定的なことを考えないように、日頃から否定的な言葉を使わないようにし、それらから離れるようにしました。
そうするとこの世は天国に感じられるようになりました。内なる世界平和です。
外を平和にするには多くの人が内なる世界平和を達成しないとなりません。
内なる世界平和を達成した人は、満足感に満たされているために、肉体を維持するに必要以上を求めません。争い、競い、妬むこともありません。欲しいものは必要なだけいつでも手に入れることを知っているので求められたら与えることができます。
だからわたしは内なる世界平和を達成する人を増やす為にここに記します。それが外の世界の世界平和を達成する唯一の道だからと思うからです。

9月20日

明日から山かけうどんに使っている長芋の量が増量します。
そのかわり、生卵の黄身を載せていたのをやめました。
そのほうがおいしいと思うのだ。

9月21日

マタイ伝福音書26章より

イエスがまだ話しておられると,十二人の一人であるユダがやって来た。祭司長達や民の長老達の遣わした大勢の群衆も,剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは,「わたしが接吻するのが,その人だ。それを捕まえろ」と,前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り,「先生,今晩は」と言って接吻した。イエスは,「友よ,しようとしていることをするがよい」と言われた。すると人々は進み寄り,イエスに手をかけて捕らえた。その時,イエスと一緒にいた者の一人が,手を伸ばして剣が抜き,大祭司の手下に打ちかかって,片方の耳を切り落とした。そこで,イエスは言われた。
「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆,剣で滅びる。

どこかの国も人も身をもって聖書の正しさを体験するでしょう。
うちの国よりその国はそのことを知っているはずなんだが・・・・・

9月24日

ディーパック・チョプラという医師がいる。
おすすめ本の「神との対話」の中で神様おすすめの人である(謎)

毎度のこと気になった私はディーパック・チョプラをサーチする。
チョプラ氏の著書「クォンタム・ヒーリング」の要約をパンプキンさんが書いているのを発見!
今、本書を購入し読んでいる。
これは医療の完成である。そして4000年前にはインドでそれが完成していたということが驚きだった。
いまの医療はそれを遠く忘れ去っていたのである。
そして今、ディーパック・チョプラが世界にそれを思い出させたということだ。
そしてその効果を科学的にも証明した。

人間はなぜこんなにも動物と比べ病気にかかるのだろう?
病気とは一体なんなのだ?
キリストの奇跡は本当だったのか?
人間はいくつまで生きることができるのか?
心はどれだけ体に影響を与えるのか?
癌にかかれば死ななければならないのか?

などの疑問をもつ方に素晴らしい答えが用意されているようです。(まだ初めの章しか読んでない)

パンプキンさんところにもう一つ興味のあった要約があった。
宇宙からの帰還(立花隆)である。
その本も買って読んでいるのだが、アメリカの宗教観について書いてある部分があった。
アメリカのキリスト教にはたくさんの宗派があり(信者5万人以上の教派教団だけで83ある)、全人口に占めるクリスチャンは6割、そのなかの6割がプロテスタント、そしてプロテスタントの6割が”メインライン”と言われるメソディスト、バプティスト、プレスビテリアン(長老派)、コングリゲーショナル(会衆派、組合協会)それにエピスコパリアン(聖公会)、ルーテル派などがある。
そこには、「アメリカ人のキリスト教信仰は、日本人が一般にこれがキリスト教徒と想像しているような信仰とはかなりかけ離れているのである。」
「あなたは神の存在を信じますか」
「あなたはイエスは神の子であると信じますか」
という根本教義中の根本教義を各宗派の信徒に質問して統計を取ったところ、メインラインの最大の教派メソディストで神の存在を信じるものが60%、イエスを神の子と信じるもの54%。まあそれはいいかげんな信仰しかもたない者も含んだ調査だからだろうと思うかもしれない。
だが、メソディストの牧師、教会教職者に同じ質問をしてみたところ、
神の存在を信じる者46%
イエスを神の子と信じる者31%
という結果が出ている。
主流派の主流派でそうである。牧師がそんななんて驚きだ。現時点ではもっと低いだろう。
ちなみに南部バプティスト(前出バプティストとは違う)という主流派からは外れた宗派ではどちらも99%であった。アメリカの実権を握っているのはWASPといわれる。WASPのPはプロテスタントのこと。それも主流派のプロテスタントのこと。神を信じていない者が実権を握っているということ。つまりメディアも政府も神父も神を信じてないから「報復せよ!」のオンパレードになるわけだ。納得。

9月29日

このごろキリストのことを書いていますが、私はキリスト教徒ではありません。
私は○○教ですというのはあんまし好きじゃない。
日本人だから(笑)
ただ、宗教的感覚は持っていたい。それを持っていると日々が楽しいからだ。
宗教のええとこ取りばかりしている。
仏教、キリスト教、ヒンドゥ教など・・・
日本は宗教を押し付けられないからどんな宗教の勉強も自由にできるのがいい。
いろいろやっていみると、どこも同じようなことを言っているのに気づく。
肉体は自分の本体ではなく、永遠不滅の魂がある。
投げたものは返ってくる。
したいことや、してほしいことを人にするとそれを手に入れることができる。
自分に対してしたいことをすると、一時的な満足のあとすぐにあき、さらに欲望が生じ、同じことを繰り返し、結局いつまでも手に入らない。
人は皆(人種も性別も肌の色も年齢も病も関係なく)神の子(仏の子)である。
思ったことはすべて実現する(ただし強力な信念が要る)
だから信じるもの(神でも仏でも自分でも父でも母でも友人でもペットでも)は救われる。
聖書や経典は時代と共に無知な学者に書き換えられている。
キリストや釈迦、クリシュナの意思と関係なく。経典は時代と共に使い物にならなくなっていく。
例えば昔の聖書には輪廻転生が述べられていた。
キリストだけが神の使いで神の子だという解釈はおかしい、キリストは私たち人間全てが神の使いであり神の子なのだと言っている。釈尊もそう言っていたのに、いつのまにやら釈尊だけが特別な人間にさせられてしまった。

なんだか最近そんなことばかり考えている。中毒だな。
昨日寝ているときにハット目がさめ、書いた言葉がある。

この世界がどんななのか決めるのは、私の心
投げたものは必ず返ってくる
投げたものが私をとり囲む
私の住む世界は私が決める
私が変われば全てが変わる

10月9日

こないだの休みに「とく一」に行ってきた。
友人がやっているうどん屋である。
香川で修行時代に知り合った彼は田村、山越、中村という三大ディープなうどん屋で働いていた。
その彼が今年2月にお店を開いたというのである。
出身が広島であるので、そこででオープンした。
ぜひとも広島で香川のうどんが通用するのか見てみたい。

場所と時間は
広島市中区光南1-13-12 中村ビル1F TEL082-541-1091
平日11:00〜19:30  毎週火曜日休み
フェリー乗り場からタクシーで15分程度

かなりうまかった。手つきが中村みたいで本当に丁寧である。そして男らしいうどんが出てきたのだ。味もコシもありじつにうまい。中村と田村を足したようなうどんだ。(俺のためにわざわざ太めにしてくれたそうです)
広島で営業するのでは香川仕様のままでは固すぎるので普通は柔らかいらしい。
お勧めである。

帰りに本屋さんに立ち寄ったら私の興味を引いた本があって、「手当て」に関する研究をしている著者である。「手当て」とはそのもの手を当てて治すだけなのである。これが実に奥深くて本当に効果のある例がたくさん載っていた。やけどの跡や皮膚癌などもとっても早く直るそうである。
私も手の力のすごさは知っている。
大根おろしが言葉ひとつであんなふうになるのだから。
面白いところに目が行った。
「手当て療法でお金を取るとなぜか効果がなくなります」
だそうだ。(笑)
私にはわかる気がする。
お金がかかわらなければ純粋に「早く直ってねー」と気を送れるが、
お金が目当てになってくると「また来てねー」になっちゃう。
潜在的にどうしてもなる。
だからキリストは病人からお金を取らなかったのか・・・
(何度も言うようですが、私はキリスト教徒じゃありません)

10月13日

このところ瞑想をよくするようになった。
朝と寝る前、夕方にもときどきする。だいたい1回30分ぐらい。
どうなるのかというと、目がさめているのに体は寝ている状態で瞑想を終えるとリフレッシュする。
寝たのだから。だが意識のある眠りだ。

瞑想をうまくやるには、眠いときにはむかない。意識まで寝てしまう。
たくさん食べてはいけない。おなか一杯だと心が落ち着かない。
アルコールも睡魔が襲ってくるし、肉を食べると落ちつかなくなる。
昔のお坊さんは肉やアルコールを取らなかったのがよく分かる。
落ち着いて瞑想できないのだ。

こないだまでは興味ある本を読んでいたのだが、このところはそれらの本を読んでも感動しなくなった。あたりまえことを書いているように思えるようになったからだ。つまり、理屈は身に付いたということだ。

私の好きなパラマハンサ・ヨガナンダも1時間本を読んだら2時間それについて考えなさい。それから3時間瞑想しなさいと言っている。本を読んでも面白くなくなってきた。
瞑想がどんどん面白くなってきた。

だが、この面白さはやった人にしかわからないというのがはがゆい。
恋をしたことのない者に恋について百万語の言葉を使っても伝えることはできないというように、また、バナナを食べたことのない者にバナナの味を伝えることができないように、お遍路旅についてもそうだが、体験しないとよさが分からない。「あーだこーだ」言っているのは時間の無駄である。
良いものは良いだな。

これからもますますその道にはまりそうだ。
ますます3次元の世界から遠ざかっていくような・・・・・

とか言いながら、昨日ホンダのCRM250を買う契約をした。(いわゆるオフロードのモトクロッサー、山とかジャンプ台を飛んだり跳ねたりするバイク)
バイクの2ストを味わう最後のチャンスだもん。
まだまだ俗ッキーの心も相変わらずなのである(笑)。

小林正観さんの本、転載しました。

10月18日

最近よく癒し系といわれるようになった。
北海道から帰ってからとくにそうである。
何故なのか・・・・・
俺が仮にそうだとして、好き勝手やって好き放題しゃべっていることが癒しになるそうだ。
便利です。自由にやってて喜ばれる存在になりつつあります。
ここのところずっと精神方面のセミナー、本、遍路旅、瞑想など、楽しい日々を過ごすためにどのような行動をしたらいいのか、困ったときの解決方法、目的の達成方法など勉強してきた。
どうもある域に達すると「やりたいことをすることが、全体の調和になり、自分も楽しく他も楽しくなるらしい」ということらしい。
こんなことは、いまだかつて無かったことだ。

今一番楽しいと思うことは、瞑想と困った人の話を聞くこと。たいがいの人は元気になる。俺も元気になる。エネルギーがどこからともなく発生して増幅して分かち合っているような感じだ。俺は好き勝手しゃべってるだけ。それで元気になってくれる。元気になると嬉しくて俺も元気になる。人助けが楽しくできる。この感じをつかんだら他の欲求がどうでもよくなる。

バイクの話
先日、ホンダの2stバイクオフローダーCRMを中古で購入しちょい乗りしております

これがはーーえーーのなんの。
コゾーに逆戻りしそうです。
これ、オフロードだろ?
というぐらいオンロードが速い速い。
しかもフロントサスが固めだし意外とよく止まる。
軽いし目線は高いし、低速度ではエンジンがかぶりそうだからからすり抜けしまくりに自動的になる(笑)
悲しいのか嬉しいのか20代前半のFZR400に乗ってた頃を思い出しました。
このスペックの高さではオフロード走行では信じられないぐらいバイクにもてあそばれるでしょう(^_^;
なんか赤いしシャアザクみたいだな。命名終わり。
あーあ。本当はセローよりも高速走行できる250、4stオフ買う予定だったのになぁ。
(セローでは高速道路で90kmで走ってました。それに耐え切れず、120kmぐらいで走れて長距離も大丈夫そうなXLRバハを狙ってました)
これじゃケツが4つに割れちゃうよ。

10月20日

最近読んでいるクォンタム・ヒーリングに瞑想のことが書いてあった。

瞑想の生理学
瞑想は体を病気から引き離す強力な治療手段であるということができます。瞑想の研究者たちは1960年代後半にその可能性を理解しました。そのころ、大学生ぐらいの年齢の多くの瞑想者が、瞑想をはじめて数カ月以内に、アルコールや煙草、気晴らしの麻薬といった習慣を自然にやめていることがはっきりとわかったのです。それは麻薬を必要とした古い意識レベルからの離脱であるという事ができます。神経ペプチドの見地からすれば、瞑想がアルコールやニコチン、マリファナよりも満足度の高い分子を提供することによって特定のレセプター部位を解放したということなのかもしれません。ウォレスは成人の瞑想者の生体年齢が暦上の年齢より著しく若いということを発見しました。その差も小さくなく、最高値を記録した女性被験者の場合、優に20歳の開きがありました。とくに目を引いたのは、被験者が暦上の年齢よりどれぐらい若いかは、その人が瞑想をはじめてどれくらいになるかとほぼ相関関係にあったということです。彼らが一般のアメリカ人よりはるかに健康であることがわかりました。

と、いうような経験を確かに自分自身している。長く健康的に生きられそうであり、他の楽しみに興味を持たなくなってきた。たとえばアルコール、タバコ、麻薬などは無理にやめようと決意してもできないものである。「目をそらせば相手は大きくなる」のだから。ただ、それらよりも魅力的なものを経験すれば、いままでしていたことがどうでもよくなってしまう。すごい。

10月24日

いつの頃だったか、そうだ北海道三十三観音から帰ってからだ。
パラマハンサ・ヨガナンダの教える瞑想法をするようになってから2ヶ月が経過した。
今では1日30分を3回している。
ちなみに瞑想中、神とか仏とかに祈ったりするわけではない。宗教の礼拝ではないのだ。
ただ呼吸に神経を集中するのだ。

ここでわざわざ書いたのは変化が起こってきたからだ。寝てるときの夢である。
以前は夢の中で否定的な言葉や利己的なことをしていて
「起きてる間(顕在意識のなか)は否定的な言葉や行動を慎んでいるのに夢までは操れないなぁ。夢は潜在意識がでるのだから。俺の潜在意識のなかではまだまだなのだ」と感じていたが。
ここのところ3日連続ぐらい、俺が肯定的な言葉を夢で使い、人のためになることを自然に選択しているのに気づいた。潜在意識にもはいりだしたのである。夢の中でスプーン曲げや、それを浮かせたりもするのも初めて見た。(自分が空を飛ぶ夢はよく見たが、物を自分の意思で浮かせたのは初めてなのだ。)
もしかして現実世界でもできるようになったりして(笑)。

うどん打ちしながらそんなこと考えてます・・・・・・





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