2006年11月20日

神様デビュー



うちの金魚ちゃん(名前はプーちゃん)を見ていてものすごく楽しい考えが思いついたのです

実はこのプーちゃんにとって私は神様のような存在なのかもしれない・・・・・

プーちゃんはお仕事中も休憩中も食事と夜を除いてたいていいつでも私の方を向いています。常に視線を感じています。

私が一歩でも水槽に近づくと素晴らしい踊りを見せて喜んでくれます
ほかの金魚たちはプーちゃんに気付いてあとから踊りだすのですが、プーちゃんの踊りの真剣さにはかないません

プーちゃんは今では一番長く飼ってます

もしかして若い金魚とこういう会話を交わしているのかもしれません

プーちゃん「おまえは神がいることを信じているか?」

若い金魚「そんなこと知らないよ」

プーちゃん「わたしは神がいることを知っている。神がいなくては誰がパン(食事)を空から降らしてくれるのだ。私は神がやってくるたびに踊りを見せて神様に喜んでもらっているのだ」

若い金魚「パンは勝手に降ってくるのさ」

プーちゃん「いや違う、私が踊ると神様が喜んでパンを降らしてくださるのだ」


金魚は中国の川で突然変異の赤いフナを長い年月を経て品種改良したものです
大きな胴体、長いひれ、目立つ色などにより、野生ではとてもいきてゆけず、人間が管理した環境でなくては滅んでしまいます

金魚にとっては人間は宇宙(生活環境)の創造主であり、病気になれば手当もしてくれ、あるいは大嵐(水換え)を起こす事もでき、たった一日で神殿(おもちゃのパルテノン神殿)を立て直すのもわけありません

ときどきわたしは長期休暇でお遍路さんにでかけることがありますが、
そのときプーちゃんはこう言っているのかもしれません

「神はいなくなった・・・・」

(そのときは臨時の神様(パートさん)がやってきてパンを降らせてくれますが、いつものにぎわいがなく、店内の照明が付いてませんので世界は暗闇となり、寂しい気持ちになっているようです)

(金魚にとって)神のような存在のわたし
なんだかもっと楽しくなりました

10月26日

愛すれば終わる

「愛すれば終わる」という言葉が思いついたのでちょっと付け足しました


愛すれば終わる
いじめも
戦争も
環境破壊も
貧困も
死への恐れも
これから愛の時代が始まる
奪い合うことをやめ、お互いに譲り合う時代
今、その時代への移行期
光がどんなものかを知るためには闇の中に入らなければならないように
健康を知るためには病気にならなければならないように
完全を知るためには不完全な状態を知らなければならないように
愛を知るためには愛と反対のことを味あわなければならない
幸いあれ
愛の時代は近い


あとがき
この1週間ぐらい特に愛についてばかり考えている変な奴です

愛に酔っぱらってます

かといって愛に飢えているわけではないんですよ

単なる偶然だと思うんですが
私の2年前買った車のナンバーが3721で覚えにくいなぁと思ってたら最近突然ひらめいたのが、
みん(3)な(7)に(2)愛(1)だったんです
もしかしてそおいう事?
お役目なんですかぁ〜
どうでもいいんですけどね
使命感ゼロですから(笑)

10月25日

自分の中でもっとも良いと思うことをしよう
なんだかよく分からないけど、よく言葉が思いつく
降りてくるのかなんなのかよく分かんないけど
直感という言葉でいつもかたづけています

で、今日は
自分の中でもっとも良いと思うことをしよう
ただし、人が良いと思っていることを邪魔したり非難してはならない
たとえ自分の中で善と考えていることとと違っていても

でした

10月22日

ハエにも言葉が通用するか?

このあいだの日記をご覧になってない方はまずご覧になってもらいたい(mixiの日記です)

今度は別の生き物にも言葉が通用するか試してみた

今度登場するのは、この時期ブンブンと羽根音かろやかに踊る天使たち

ちょっと普通の人に嫌われ者のハエちゃんでございます

私は前はジェット式の殺虫剤で一吹きでしたが、
一吹きと言っても実際命中させるのは至難の業
命中させるために空中に何度も噴射してるとなんだか馬鹿にされているような気分
そこでハエたたきをつかっているのです

じっとしているハエちゃんを息を殺して近づいて行き、ぴしっと百発百中(50%歌ってます)に仕留めています

前のことがあるので、ちょっと試しにハエたたきを手に持ち

「今度わたしの目の前に来たら叩くよ、今のうちにお帰り」

と言うと、窓もドアも閉め切っているのにさっきまで目の前を何度も飛び交ってた天使たち

いなくなってしまったのです

一度目は偶然かなぁと思ってましたら、二度目も確かに居なくなりました

昨日は嫁さんが、もし俺がハエになって飛んでたら余計に飛び回っていじめてやろうかという気合いの抜けた声で言いましたが効果があったのです

殺るまえに教えてあげるといいみたいです

宣戦布告と言いましょうか、やっぱり不意打ちはよくありませんねー

10月22日

ひまわりとCafe
空港近くのテニスコートから満開のひまわりがみえますぞ

写真2枚追加しました
蜂になりたい
花粉まみれになりたい

場所の詳細はここです

10月18日

トゥーランドットで伝えたいこと
オペラ「トゥーランドット」を見てきました
作者の伝えたいことはこう思うんです

愛は常に負ける方を選ぶが、常に勝利してしまう

たぶんこの世で最も理解しがたいのが愛であり、今の地球人類に与えられているテーマだと思うのです

愛は苦しいこと、悲しいこと、辛いことを通してしか理解できないと思うのです

だから戦争や憎しみの多いこんな世の中に誰かさんがしたんだと

ここで言う愛とは情熱とは違います

もちろん、セックスのことでもありません

でも混同しているテレビCMやドラマや映画の多いこと・・・

トゥーランドットがこれほどまで長い伝統で続いてきたのは、その歌唱力や演奏の迫力、演出の豪華さもあるでしょうが、永遠のテーマの愛を伝えているからでしょう

愛の伝道師といえば、イエスですが
最初から悟ったようなイエスよりも
こっちのほうが主人公達がドロドロとしていて、もっと楽しめるような気がします

※わたしはキリスト教徒ではありません

10月17日

ことばによってナスがトマトにかわる!
三浦悦子さんの著書「農業コペルニクス」を読んでいます
そのなかで、ナスに「トマトになれ」と言ったらトマトになったと書いてました

HPで生体システム実践研究会のHPを探したら写真つきであったんです

言葉ってほんとう、不思議だね

10月16日

善悪を気にせず思い切り
数日前思いついた言葉がまだ頭でリピートしていますので書きとめておきます

時々耳に入る言葉なんだけどね

「善悪を気にせず、思い切りやれ!」

なにか思いとどめていることあったっけ・・・

10月16日

たとえばもしこの世が劇場だったら
たとえばもしこの世が劇場だったら・・・

神様は監督

わたしたちは出演者

だとして

神様は悪役を演じる人をどう選ぶか

きっと魂のレベルが高い人でしょうね

P.S
観客を書き忘れてました

観客は肉体を持ってない魂たち(死んだら再び生まれ変わるまでの間、観客になれます)と

劇場だと気づいた人たち

となります

10月13日

ツイてるは魔法の言葉
私は習慣として、なにかイヤーな気分になったりしたときに「ツイてるツイてる」と言う言葉を山ほど言うんです

今日は朝から偏頭痛が少しあって朝の10時頃今日は昼頃までの営業にしようかなぁと思ってたんです

で、疲れたなぁと思ったら、ますます疲れてきたのです

これは意識のせいだと思ったわたしは「ツイてる」を連発してぶつぶつ言ってました

そうしたらメキメキと力が沸いてきます

わたしは単純なんです

いつの間にか偏頭痛は消えました

それに今日は12時台にお客様があまり来なかったのでしたが、元気になってくるのと同時に、お客様がどわわぁーーっと山のようにやってきたのです

やっぱりツイてるはすごいなぁと実感した日でした

いつもなら今ごろ昼寝タイムですが、元気なので日記書いちゃう余裕もあります

やっぱり、なーんかヤな感じのする時、ツイてるを連呼するとすばらしいお返しが来るのでした

ちなみに旅行作家小林正観さんの話では疲れたことを(霊に)憑かれたといい、実は憑かれたから重くなって疲れるのであって、
疲れたと言うと憑いた霊は「この人を疲れさせなくちゃならない」って出来事を起こすそうです
それをツイてるというと「この人をツかせなきゃ!」って思うそうです
人に憑く霊というのは善悪の判断はなく、ただ、憑いてる人の言葉どうりに働くようです

だったら憑かれたら、疲れたではなくツイてるツイてるでしょう

信じなくて良いから、やってみたらいいですよ
1000回ぐらい言ったら効果が現れてきますから

6月23日
みんなに愛

遠藤周作さんの「イエスの生涯」を読み終わって、今「沈黙」を読んでいるところです

イエスは罪を犯すと罰を与える神、いわば男性性の神様しか信じられてなかった時代に生まれ
女性性の無償の愛の力を自らの死で証明した人でした

そんなことを考えながら・・・・

ふと、わたしの車のナンバーが目に付きました
おととし買った愛車のナンバーは3721です
とても覚えにくいなぁと前から思ってて、いっそ数字をかえようかなぁと、おもったことがあるのです

でもせっかく頂いた数字だし、もしかしたら何か特別意味のある数字なのかもと思ってそっとしておいたのです

そうしたら、「ハッ」と気づいたのです
さん、なな、にい、いち で
みなにいい
うーん、まだインパクトないなぁ

あっ、みんなに愛だ!

ちょうど、キリストのことを考えてたときでしたから、わぉぉぉ・・・
と吠えてました

こいつ、はじめからキリスト意識もってるじゃねぇか

というわけで、思わす素晴らしい数字を頂いていることに感謝してしまいましたとさ

6月20日
キリストの話

テキストがながくなっちゃったので、小出しすることにしました

「イエスの生涯」という遠藤周作さんの本を読んでみました
このあいだ読んだ遠藤さんのマリーアントワネットがあまりにもわたしのツボにはまったからなのです

イエス・キリストについて書かれた本ですが、すごくキリストについて納得のできる本でした
キリストについて多くの誤解を持っていましたが解けました
遠藤周作さんが書いたことが事実でないかもしれませんが、その推測にとてもリアリティを感じずにはいられません

まず、キリストが十字架に掛けられたき「主よ、主よ、なんぞ我を見棄てたまうや」と言いましたが
それを聞いて、わたしは「どうして神を信じている人が愚痴を言っているの?」と思っていました
ところが、そうではなく、その言葉は
ユダヤの詩篇二十二篇のはじめの一句だそうです
ユダヤ人ならこの「主よ、主よ、なんぞ我を見棄てたまうや」という言葉を聞けば自然とあとに続く言葉が想像できます

たとえば日本人なら「雨にも負けず風にも負けず」といえばそれに続くことばはほとんどの人が知っているのと同じことです
ユダヤ教では処刑される人の最後の言葉はたとえ罪人でもとても重要視されて記録されるそうです
イエスが「主よ、主よ、なんぞ我を見棄てたまうや」とさらにそれに続く詩を言ったか言ってないか分かりませんが、記録するほうは最初の一句を記録しておけば後の言葉は分かるので省くことがあるそうです

イエスの「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ(主よ、主よ、なんぞ我を見棄てたまうや)」には

我 わが魂をみ手にゆだねたてまつる
主よ まことの神よ
汝は我をあがなわれたり

と続くそうなのです
詩篇では「汝は我をあがなわれたり」の後には「主よ、すべてを御手に委ねたてまつる」が来るそうです

イエスが最後に言った記録に残る重要な言葉は3つです
1.「主よ、彼らを許したまえ 彼らはそのなせることを知らざればなり・・・」
2.「主よ、主よ、なんぞ我を見棄てたまうや」
3.「主よ、すべてを御手に委ねたてまつる」

2と3は同じ詩編の言葉をイエスが言ったようです
間の言葉を言ったかもしれませんが、省略されていました

イエスがそんなこと言うわけないやんと思ってた違和感はこういう事情があったからでした


2月12日

ほんとうのことは逆説的だという言葉があります
老子は、
知らないということを知ったかぶりする者は、心が病んでいる。
しかし、心の病を病と認識する者は病んではいない。

と書いています
実例を書いてみましょう

自分のことをスケベだと言う人はスケベではない
スケベだと認めたくないという人はスケベだと言うことです
最近まじめで評判のいい先生がソープランドで少女買春をしていて捕まった事件がよくありますね
日頃からスケベなことを話していて、あいつならやるだろうと思っている人は実はやらないのです
いつも意外な人物

自分のことをみっともないと言う人はみっともなくない
所さんの番組で全国あちこちの町をダーツで当ててそこの人たちを取材しようと言う番組があります
農家のおばあさんを取材すると、笑顔で「こんなみっともない格好やのに恥ずかしいわ」と言います
見ている方はそんなおばあさんを全然みっともなくないと言うことを知っています
逆の例を挙げると、街頭演説をしている政治家がいますが、自分のことを立派でたいしたものだと思ってます
しかし多くの人は、みっともないことをしていると見ています

自分のことを悪人だと言う人は悪人ではない
よくある話ですが、いつも悪役をする俳優はものすごく優しいというのです
彼らは見栄を張ることがありません
逆に正義の味方をする俳優さんの方がプライドが高く扱い難いそうです

私は口が堅いからと言う人は口が軽い
私が口が堅いからなんでも相談してねというひとの言葉を信じてはいけません
彼女(彼)はおしゃべり好きでネタ集めが好きなのです
集めたネタを自分のところだけでしまっておくことはできない人が私は口が堅いという言葉を使います

大嫌いなことは実は大好きなのである
他人の子供が母親に大嫌いというときは実は大好きなんだということは分かりますね
でも自分のことになると認めたくないのがこの言葉です
ブッシュ大統領はビンラディンのことを大嫌いと言ってますが
彼のおかげでブッシュ家の軍事産業は繁栄して、他人のプライバシーを礼状無しに堂々と侵し、
なおかつ大統領を続けることができるのです
実はこの写真のように大好きなのです
ブッシュ大統領とビンラディン、メキシコでは仲良くポスターに

女性は弱く、男性は強い。が、つねに女が勝ち、男は負ける
ここはオショーさんの本からの引用です
ナポレオンの妻、ジョセフィーヌにはこの男がどうしてあれほど多くの戦さに勝つことができたのか、とても信じられなかった。
彼女は手紙の中でこう書いている
「それはただただ信じられないことです。ナポレオンは吹けば飛ぶような男なのですから」
ナポレオンが最後の戦いで敗北を喫したのは、ジョセフィーヌのせいだった。
というのも、家を出る間際に彼女が「駄目」と言ったからだ。
彼がどうするかちょっと見てみたかったのだ。
そして、女が駄目と言ったら、どうしてナポレオンが出て行ける?
そこで、彼は家にいなければならなくなってしまった。
ここでオショーさんは「女性は弱く、男性は強い。が、つねに女が勝ち、男は負ける。つねにだ。」
と言ってます
まさにその通りと経験豊かな男性は言うでしょう

世の中まったく逆なのよ〜♪
まっすぐな言葉はゆがんで見える
(老子の言葉、正言若反)

2月11日

このところ、軽やかににキーボードをたたくようになってしまいました
どういう訳なんでしょう

たぶん、オショーさんの老子の本の内容を消化できてきたからかもしれません
この前までは内容を消化できずにいて考え方の移行期だったみたいです

移行期を過ぎたから書くようになった気がしますが、ますます老子さんのことがわかると、まったく書かなくなってしまうのかなぁ、とうとうパソコンちゃんとも卒業なのかなぁって気がします
前にも書かなくなるよと言ってましたが、また書いてるらいい加減ですけどね

昨日は初サルサしてきました
ラテンの曲でノリノリのダンスです
ダンス教室に通うのはじつは初めてです
自分がダンス教室を主催していながら、ダンスを習いに行ったことがないのです
でも、スピリットダンスをダンス教室とは呼べないかもしれませんけどね
習うものでもないし、教えることなにもないし

サルサはまずはステップを覚えなくてはなりません、初めてでしたので先生の足ばかり見ていましたが、なかなか思い通りには足が動かないのです
しかもステップで頭をひょこひょこ上下に動かしてはみっともないそうです
スピリットダンスではひょこひょこどころか飛び跳ねまくってますので難関かも

やはりダンスにきているのは女性ばかりです
うちでも同じですから
男性はお得です
男性の場合、男性の数が少ないのでペアで踊る練習をするときは必ず相手がいます
男性は男性の踊り、女性は女性の踊りがありますから女性同士で踊る練習はしていないようでした
ぐるぐるペアを代わりながらダンスをするのですが、ペアを組めなかった女性は番が来るのを待たなければなりません
私は初めてやったので女性にかなりアドバイスを頂きました
下手でもきつい言葉を言われることもなく優しく接してくれました
貴重な男性(頭数だけでもいいから)だったからかもしれません(^^;
今度はペアで踊っているのを見て学びたいです
踊っているとき、先生の動きが見れないのです
来週もやってきます

2月10日

昔のヨーロッパでは聖バレンタインデーにお祭りをして未婚の女性は祭りの前日に箱に自分の名前を入れておき、
祭りの日にパートナーを見つけたい男性はくじを引いてその女性と祭りの間お付き合いをします
それがきっかけで恋愛して結婚することがよくあったそうです

わたしも結婚相手を見つけるときに実はやり方は少々荒っぽいけど、同じようなことをしたんだなぁと気が付きました
くじを引いた男性はどんな女性が当たってもそれを受け入れなければなりません
少なくとも祭りの間ぐらいは
男女とも受け入れることが上手でない人は受け入れることを学ぶ訓練にもなりますね

恋愛のきっかけは?と聞かれ、「バレンタインデーのときくじで彼が私の名前をひいたんです」
というのもすばらしい!パチパチパチ
わたしの場合の作戦では毎日がくじ引きの日でした
毎日が中世バレンタインデーのお祭り気分でした

追記ですが、バレンチノ(英語名バレンタイン)が処刑された直接的な原因というのは内緒で多くの兵士を結婚させていたからでななく、それも原因のひとつでしたが、牢屋の看守の娘が目が不自由で、その娘とバレンチノは親しくなりました
あるとき娘のことを祈ると目が治ったというのです
バレンチノはそれが原因で処刑されたとか・・・・
そんな時代だったんですね

2月9日

もうすぐバレンタインデーです
バレンタインデーはどうして始まったのかを知ってしまいました
こちらをご覧になってください
このなかでくじ引きで相手を決めたという話がありますが、
ぜひ、少子化対策に国策で今の日本で復活させてください

2月8日

老子の言葉です

天下に水より弱いものはないが

堅きを打ち負かすにつけて、それに勝るものはない

ほかにそれに代わるものは何ひとつない

弱さが強さに勝ち、やさしさが硬さに勝つことは

誰ひとり知らず、誰ひとり実践に移すこともできない

それゆえに、聖人は言う

世の災厄をわが身に引き受ける人こそ国の保護者であり

世の罪を自ら追う人こそ天下の王である、と

まっすぐな言葉はゆがんで見える

下篇第78章

老子はキリストよりも500年前に生まれた人物ですが、キリストと同じようなことを言っているようです
「私は全人類の罪を背負う」というような意味のことをキリストは映画「パッション」のなかで言ってました
弟子は言葉を理解できなかったのでしょう
「そんなことはできない」と言ってました
老子を読むとキリストはこういうことを言いたかったのね、ということが分かります
新約聖書はキリストが死んでかなり経ってから編集され、しかも現代に伝わるまで何度も書き換えられています
それではキリストが何を言いたかったのか伝わらなくなるのも無理はありません
直接の弟子ですら理解していなかったぐらいですから

2月7日

最近まじめな話ばかりでしたのでそろそろ私へのイメージをガラガラと崩しておく頃です

最近毎週ビデオを借りてきてお店で見ています
過去にアカデミー賞をとった名作をよくみていましたが、
3週間ぐらい前から代々木監督のエッチビデオが混じってまいりました
今回なんかは代々木さんの「女が淫らになるテープ」など5本と普通の映画が「パットン大戦車軍団」と「慕情」2本になりとうとうエッチビデオの方がたくさんになってしまいました

代々木監督のビデオは私は一番賞賛します
普通、映画ってみんな演技ですが、出演者が全然演技してないのです
アカデミー賞主演賞を穫るような人は演技で見る者を感動させますが、
ここでは初めて作品に出たという女性が生の自分を出すことで感動させてくれます
これはエッチビデオというよりも、セックスのドキュメンタリーととらえていいような気がします
今までオーガズムを感じたことのなかったAV女優さんや、男性に負けたくないという気持の強かった女性など(たとえば教師とか、管理職をしている人)がオーガズムを感じる課程がすばらしいのです
それに代々木監督の声は魔法があるんじゃないかというほど魅力的な声で好きなのです

この間夕方にTSUTAYAに5本ぐらいのエッチビデオを返しに行ったときです
このお店には返却ボックスというものがありません
カウンターには男性従業員だけがいてちょっとホッとしました
お客さんがいたので後ろに並びます
すると隣の空いていたカウンターに女性従業員がやってきて
「お待ちのお客様どうぞ〜」
と言うじゃありませんか!このまま「結構です」と言うのはさらに恥ずかしいので
ま、仕事だからしょうがないよねって女の子のところで返却しました
なるべく目線が会わないように(笑)

そしてビデオ7本を借りようとして、また同じように男性従業員のところに並ぶのですが、またもや
「お待ちのお客様どうぞ〜」
と、空いていたカウンターに女の子がやってきたのです
また仕方なく差し出したのでした・・・・・
見たら別の女の子でした・・・
このお店深夜になれば男性従業員だけになるのですが、そこまで避けようとは思わないんだな

2月5日

このあいだトリビアの泉で

「ノミは着地が下手」

というのをやってました
あれを見て、蚤の人生も捨てたもんじゃないな、あれこそ人生の手本だと思ってしまいました

蚤は体長の300倍ものジャンプをすることができます
160cmの人間に直すと上海タワーを飛び越す高さまでジャンプします
しかし着地の時は背中から地面にぶつかります
そのぶつかりようが笑えるほどへたです
しかし体重が軽いのと堅い殻に守られているので平気です
そんなに高いジャンプをするのは動物に寄生するためです
犬とかやってくるとジャンプしてくっつこうとします
失敗しても何度でも繰り返しジャンプします

そこから得た人生の手本は、
動物がやってくると夢中になって跳び続けること
体が軽ければ高く跳べるし、着地に失敗しても気にならないこと

人間ってね、重荷を増やしながら年をとってゆくというユニークな動物だと思うんです
そして重荷をたくさん持っている人の方が評価されるようにできています

その重荷とは、肩書きや財産、名誉、トロフィー、責任などなど・・・・

それらを抱えている人の方が失敗が怖くなって飛ぶことができなくなってしまいます
それを失うことが恐ろしくて直感的にやりたいことができなくなってしまいます

このあいだ、ニューシネマパラダイスを見ました
イタリアの傑作映画です
見てない人はぜひレンタルして見てください

そのなかで広場の中にいるホームレスがいましたが
あの人こそ私の言う蚤のようなすばらしい人生を歩んでいる人といえます
もっと大げさに言えばキリストの言う「神の国にいる人」です

最近キリストさんがますます大好きになっちゃいました
オショーさんのおかげです
キリストは言いました
「明日のことを思うなかれ、野のゆりを見よ。ゆりはいま咲いている。」

これはキリストの寓話です

あるとき、彼がある家を訪れた。そこへ招待されたのだ。
主人はマリーとマーサという二人の姉妹だった。マリーはイエスのすぐそばに座り、何をするでもなく、ただ彼の近くにいることで幸せだった。
彼の足をマッサージしながら、深い法悦にむせび泣いていた。幸福の涙を流していた。

 ところが、もうひとりのマーサは台所で働いていた。イエスの食事を用意していた。
それに、他のお客さん達も来ることになっている。
そこで、彼女は嫉妬心を起こした。彼女はイエスのところにやってくるとこういった。

 「ちょっと、私はひとりでてんてこまいです。なのに妹はただここに座って、何ひとつしていません。この子に、来て私を手伝うように言ってください」

 イエスは言う。

 「あなたは結果思考だ。この子は違う。あなたは客のために食事を作っているが、客はここにいるのだ。妹は客を楽しんでいる。
あなたはあなたのやりたいようにやって、彼女は彼女の好きにさせておきなさい」

この話、キリスト教徒の人たちはあまり好きじゃないみたいです
わかります(笑)
キリストは勤勉を推奨していないのですから
今を楽しむこと、子供のように純心になること
そんな話がいっぱいでした

あとマタイ伝21章の中のはなしです

「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。
兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。
弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。
この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。

この話、道徳的には全くキリストの言ってることはなんのこっちゃです
まったく不道徳極まりない(笑)

キリストはどうして磔(はりつけ)にされたのだろう
当時は死刑が禁止されていたにもかかわらず
どうして処刑した人たちはキリストは悪魔の教えを広めていると言ったのだろう
確かに、勤勉、努力を美徳とし、道徳的に生きてきた人からみたら彼の教えは悪魔の教えに思えただろう
彼はちっとも常識的じゃない、常識がいっぱい詰まっている人間にはとうてい理解できない
そして決まりを堂々と破る彼を聖職者たちは絶対に許せなかったでしょう

ところでこの話を聞いたとき、ニューシネマパラダイスのトトの子供時代を思い出しました
母に牛乳を買うようにとお使いで出て行ったのですが
その牛乳代を使って大好きな映画を見ていたのです
母に激しくしかられて映画館への出入り禁止を約束させられましたが、おかまいなしです
そうしているうちにトトは映画技師のアルフレードと親しくなって上映技術を学んでいきます
その後母親は映画に没頭するトトを認めるようになりました
トトはアルフレードが怪我をしたので代役を務めることとなったのです
このときのトト子供時代は神の国にいまいた

あとの話も面白い
トトが大人になっての話ですが、アルフレードのトトの未来を案じて行った良心的・道徳的な行いがきっかけで地獄に行っちゃったんです
トトはアルフレードの期待通りに立派な映画監督になりましたが、幸せを手に入れてはいなかったのです
これほど考えさせられる映画も珍しい

今思いつきました!
道徳的な人、言い換えるなら
「してはならないことで頭がいっぱいの人!」

2月4日

傑作だなぁという言葉を見つけました
私にぴったりぃ(笑)
しかもずいぶん的を得ていると思うんですよ

「神のもとへは踊りながら行きなさい」

踊りって、全身が喜びであふれている、純粋に喜びに包まれている姿なんですよね
無欲になりなさいとか、祈りさない、感謝しなさいと言われるよりもなんか近道な気がします

昨日は斎藤一人さんの寺子屋教室に行ってきました
講演の初めに調子づけにマツケンダンサーズ(スタッフ)が前でマツケンサンバを踊るのですが、
私だけひとり後ろで踊ってました(私はスタッフじゃありませんよ)
スピリットダンスをしてますし、前の傑作言葉の影響もあってじぇんじぇん人前で踊ることが苦にならなくなってしまいました
むしろ、誰かが踊っているのにじっとして見ているいる方が辛いのです

踊るうどんという名前をつけたのはもともと踊りが好きだったわけじゃないのです
踊りが好きになったのはスピリットダンスを始めてから
うどん屋のあとなのです
なんで踊るうどんという名前にしたんだろう、今考えても傑作だね
うちのうどん、食べたら踊りたくなりますよ
喜びがいっぱいつまってますから(ふふふ・・・白い粉もいっぱいつまってますからね)

1月27日

催眠術で惚れさせて一夫多妻の生活をしているおじさんが脅迫容疑でタイホされました

このニュースを見て様々な思いがよぎったかもしれません
思わず、夢で見た特別な呪文というの聞きたくなってしまいました

映像で出た同居生活している女性達は皆幸せそうでした
どんなすばらしい催眠術師でも24時間かけっぱなしというのは不可能と思ってますので、彼女たちはこんな生活に本気で幸せを感じていたのだと思うんです
声の感じからして、脅されて家に住んでいるようではないと感じました
以前あった王子様監禁事件とはかなり違う印象です

理想的な夫婦生活をしていても実は我慢して生活している人は少なくないと思います
一夫多妻で、世間体は悪くともここで暮らしていると楽しいから暮らしているといるのと、世間体は良くとも楽しくない暮らしをするとのとどっちがいいの?と問われれば、私が女性だったら楽しい方を選ぶなと思うんです
なんだか占い師のおじさんを応援しちゃってますが、相手を怖がらせるのはいけないなぁ・・・・

彼はとても興味深いことを言ってました
(妻が)2人3人のうちは奪い合って大変だったけど、5人6人以上になるとお互いに仲良くなってくるんだよな
というようなことを言ってました
似た話を何度か聞いたことがあってそうなんだよねと思いました
代々木監督の本にも載ってたのですがちょっと状況は違います
この人は10人以上の人と浮気していて、隠しきれなくなり、ばれたときには大変責められましたが
浮気相手が10人ともなることがわかるとすっかり女性の方も呆れてしまって女性同士が仲良くなって会う日を彼女たちが決めるようになったというのです
浮気がばれる前はそれを隠すために大変苦労したそうでしたが、今では幸せだというのです(^^;
私は10人も妻がほしいという願いはありませんが、こういうのもあっていいよねと思いました
一夫多妻が認められると世の中から不幸な人がかなり減るかもしれません
ある人が言ってましたが、一夫多妻制は女性の方が幸せなんだよという話です
何故なら男が余ってしまいますから
実際、法律で一夫多妻を認めている国の人々はそれをどう思ってるのかな



かけうどんの出汁がさらに旨くなりました
どっちの料理ショーを見て手に入れた料理酒なのに米と米麹しか使ってない純米酒があるんです
その酒はアミノ酸が普通の酒の5倍も入った濃厚なうまみのある飲んでもおいしい料理酒です
どーぞお試しくださいませ

2006年1月26日

新年明けましておめでとうございます
ひと月ぶりでございます

いろいろな理由で更新が止まってました
久々の更新はちょうど今読んでいるオショー・ラジニーシの「老子」に書かれた内容がちょうど今いいとこだったのです

老子はこのように書いてます
あえて世の先頭に立とうとしないことによって、
人は自らの才能を磨き、それを熟成することができる
もし愛と無畏を捨て、自制と力の貯えを忘れ、
後ろにつくことをやめて先頭に出れば、それが人の運のつきである
これはどんな時代にも通用する、老子の予言ともいえる言葉なんですよね
織田信長、ナポレオン、ヒットラー、アレクサンダー
皆に共通なのは強い野心を持ち、昔からものすごく変わり者で一時は時代の流れにうまく乗り英雄として名を馳せますが、あとちょっとで目的を達成できるところで悲惨な目に遭うのです

誰のことを私が言いたいかはわかると思いますが、ずばりあのホリエモンさんのこと、タイホなんてことになりましたが、やはり起こるべくした起こった出来事なのだなぁと思ってます

それにしても時代の動きの早さに驚くところです
昔なら同じようなことをしてもばれてタイホされるようになるまでは何十年とかかったと思うんです
今ではあっというまに会社が大きくなって、潰れるのも一瞬
やったことの結果が出るスピードはやぁ〜

12月25日

久々に書き物をしようとしてみたらもうクリスマスになっておりました
遍路中に書いて以来です
結婚してからというもの(といってもつきあい始めてから)書くことが少なくなってしまいました
その理由がはっきりとしてきました
初めは単に書く時間が減ってしまったからかなぁと思っておりました
そういう物理的な理由もあったのですが、
心理的なことがもっと大きかったなと気づきました

というのは何か思い浮かんだことや出来事があったときにHPに書いていたことが
さきに嫁さんと会話することですっきりしてしまったのです
溜まったものを今まで書いてすっきりさせていたのが
話してすっきりしているんですよね
それがまぁN子さんは吸収率がすごいんですよ
なんでも反論せずに聞いてくれる
HP書かなくなったのも幸せだからだなぁ・・・・
なんて思ったのでした(笑)



先日初めてぎっくり腰を経験しました
今はとってもよくなっています
遍路中に重い荷物を腰で支えていましたから骨盤がずれていたみたいなんです
ずれていた実感があったのに修正するために以前ならヨガをやってたのでしたがすっかりさぼってました

ココ→←ココ
木野本さんという友人がカイロプラクティックをしています
ちょっと離れた大洲に住んでいますが行ってゆがみを修正してもらったら
あっというまに痛みが消えました
曲げたらイタタタタ・・・だったのがすんなり曲がったのです
その前の日に整形外科に行きましたらレントゲン撮って腰に電気当てて湿布をもらっただけでした
こんなのでは直らないことを知っていたのですが、診断書書いてもらって生命保険会社から保険おりるかもって
かすかな希望を持っていたのです(^^;
ぎっくり腰にならなければ木野本さんのすごさを実体験することはなかったかもしれませんのでラッキーです

お店は1週間休みましたが、N子さんが看病にいてくれて
(ぎっくり腰が二日遅れてたら彼女は東京の予備校に行っているところでした)
それに愛知から正観さん友達の自称ソフィーさん(通称魔女さん(湯ばぁばとも))がいらして松山案内もでき、濃ゆいお話もたっぷり聞けました
怪我してもますます運気向上だなぁなんて感じています



そういえば結婚式での自作誓いの言葉をUPし忘れておりました
盛岡バージョンです
このバージョンは光楽園結婚式当日の朝に早起きして言葉が出てくるに任せてでまかせで1時間かけて作ったものをちょこっと盛岡用に修正したものです
私たちはここで宣誓します
6月13日、私たちは入籍しました
その日、二人だけで瀬戸内海を見下ろす、大山寺奥の院に向かい、
入籍届けにサインをしました
そこで三つのことを誓いました
それは、「受容」と「感謝」と「聖なる繋がり」の三つを柱として、これからの人生を共に歩んでいこうというのです
受容とは、相手のどんなところも受け入れること
不満を持つようなことがあっても、「あなたはなんてすばらしい人なのだ。私の魂を磨くための砥石になってくれてありがとう」と伝えることです 感謝とは、わたしたちを育ててくださった両親、そして兄弟、友人、自然、見るものすべて、体験することのできるすべてに「ありがとうございます」と手を合わせることです
聖なる繋がりとは神と人との繋がり、パートナーとの心と体の繋がりをいつまでも大切にしようということです
わたしたちは岩手山に誓います
今日からお互いを磨き合いながら成長し、共に歩み、笑顔で三つの誓いを実践することを
乗せるの恥ずかしいような気がするんですけど、まあいいかっです
たくさんの前で宣誓したもんだしね